「表参道高校合唱部!」がいまひとつだった3つの理由
今期、かなり期待していた「表参道高校合唱部!」。
キャストをオーディションで選び、役者主導のドラマではなくて、
「描きたいもの」主導で描かれるドラマに期待を寄せました。
さらに、私は、アメリカドラマ「glee」の大ファンでもありますので、
以前、フジテレビであった「カエルの王女さま」を反面教師として、
TBSは、日本に合った和製gleeを今度こそ作ってくれるのでは? と、
大いなる期待をしていました。
(あ、私が和製gleeとしてものすごく上手くいっていると思うドラマは、山田太一先生が作った「よその歌 わたしの唄」ですが)
しかしながら、「表参道高校合唱部!」は残念ながらいまひとつでした……。
脚本の観点からその理由を3つ述べたいと思います。
「表参道高校合唱部!」がいまひとつだった、1つ目の理由
「主人公が、人間できすぎている」
ドラマも漫画も、青春ものだったり、成長ものだったりする場合、
主人公の人間ができすぎていると、対立・葛藤が少なくなり、
ドラマの頭とお尻での成長幅が少なくなってしまいます。
「対立・葛藤の多さと、成長幅の大きさ=感動の大きさ」なので、
これでは、大きな感動は生まれません。
これは、視聴率の停滞している現在の朝ドラ「まれ」でもそうです。
人間的に優等生すぎると、視聴者は自分との解離を感じすぎて、
感情移入できなくなるのです。
「表参道高校合唱部!」がいまひとつだった、2つ目の理由
「子供向け過ぎる」
このドラマは、おそらくティーンエージャー向けでしょう。
各キャラクターの抱える問題が浅く、汚れてなく、マイノリティも描けていません。
このドラマが元にしている「glee」では、
各キャラクターが、トランスジェンダーや身体障害者、肌の色、ダウン症などの、
どうしようもない事柄からの迫害やイジメを受けていますし、
家族の抱えている問題も、結構ヘビーです。
しかしながら、それを歌や踊りを武器に、それぞれが乗り越えていきます。
私は、子供をバカにしていません。
子供は、大人以上にセンシティブにエログロナンセンスをキャッチできますし、
重い問題に対しても本質をついた目で見られます。
「表参道高校合唱部!」は、ちょっと”やんわり”し過ぎたのではないでしょうか?
これならば、子供向けなのにも関わらず同じように「glee」を元にしつつもオリジナルに昇華できた、「仮面ライダーフォーゼ」の方がきちんと学園のヒエラルキーを描けていました。
「表参道高校合唱部!」がいまひとつだった、3つ目の理由
「物語の進行エンジンのミス」
元々、名門であったが、現在は落ちぶれている部活。それを復活させる物語。
という、物語は多いです。
「glee」では、ウィル・シュースター先生がかつて自らがいたグリー部を復活させようとするし、
「ルーキーズ」では、川藤幸一先生が復活させようとします。
そして、その二人には、必ず相棒となる生徒がいます。
ウィルには、レイチェルとフィン、川藤には、御子柴。
おそらく、この形のドラマのテンプレとしてこのコンビが正しい気がします。
「表参道高校合唱部!」では、先生と生徒の関係を、これまでのテンプレとちょっと入れ替えて生徒の方がやる気度が上で、先生が懐柔させられていくという形をとったのだと思いますが、ちょっと上手くいっていません。
視聴者は、日本のミュージカル界で評価されている、城田優と神田沙也加がウィルや川藤としてガンガン歌うのを見たいのですが……。
「表参道高校合唱部!」は、
主要キャストをオーディションで選び、これまでの事務所(役者)主導のドラマ界に、
一石を投じる、非常に貴重かつ、評価されるべきドラマです。
私は、その考えを支持しますし、このドラマのプロデューサーは評価を得るべきです。
ただ、その理想をこれからのドラマ界で叶えるためにも、もっともっと、
「表参道高校合唱部!」は面白くしたい! そう考えてしまいました。
また偉そうなこと言いました。
「そんなこと言うなら、お前、書いてみろよ!」
そう言いたい方もおられるでしょう。
「はい。是非やらせていただきます!」
という所存ですので、どうぞ宜しくお願いします。